第72話    「だだちゃまめ」   平成17年08月14日  

今年もお盆を迎えた。お盆過ぎると庄内では本格的なダダチャマメの季節を迎える。日本三大枝豆は、丹波の黒豆、新潟県西蒲原郡黒崎町(現在の新潟市小平方)の黒崎茶豆そして庄内のだだちゃ豆の三つと云われている程に美味しい豆である。

ただちゃ豆と聞くと、庄内の人たちは皆お盆過ぎに採れる「白山(しらやま)ただちゃ」を連想する。庄内には何種類かのだだちゃ豆があるが、ただちゃ豆白山だだちゃなのである。調べて行くとこのだだちゃ豆のルーツは、色々な説が有るが 「八里半豆」であると云う。この「八里半豆」は美味しい栗=九里までは行かないので八里半と称したからだと云われている。この「八里半豆」のルーツは新潟県の美味しくて美味な茶豆と同じ系統に属している。明治の末期に鶴岡の親戚より豆を貰って来て田んぼの畦道で育てたとの話があるから納得が行く。

鶴岡の城下外れの小真木(こまぎ)の太田孝太の父五十嵐助右ヱ門が「八里半豆」の酷似種を八里半どう豆なるものを栽培していたと云う。それを息子の小真木の太田孝太が良い豆を集め、品種改良を重ね現在の小真木だだちゃに固定した。それを庄内藩主酒井忠篤に献上したところ、たいそう気に入り「小真木のだだちゃ(お父さん、おやじさんとか主人の尊称=庄内の方言)の豆が食いたい!」と云い、更に毎年の献上時には「今日の豆は、どこのだだちゃの豆か?」ともらすようになったとの事である。この出来事以降だだちゃ豆と云われる様になったとの説がある。またその昔、種を福島県の伊達町もしくは仙台から持って来たので伊達茶豆(ダテチャマメ)⇒ダダチャマメに変化したとも云われている。

さて小真木で作られたダダチャマメは、明治時代に白山(鶴岡市白山)の森屋初と云われる者の手により種の選別が行われ白山だだちゃとしての種が固定されている。ここから鶴岡周辺に広く広がり現在では早生、中生、晩生など10系統をダダチャマメとしてのブランドとして認めている。さらにその近縁種を含めると20種あるとも云われている。このダダチャマメは土柄に左右されて美味しさも変ると云う微妙な性質を持ち、その土地々で独自の味があるが、収穫が他の枝豆と異なり少ないので一時途絶えかけている。戦後自家用で細々と作られてその一部が地元で売られていたが、グルメブームに火がついて一躍脚光を浴びた。価格も一般の枝豆の数倍するにもかかわらず、年々販売数量は増加している。

ダダチャマメの主な品種
小真木、早生白山、甘露、庄内1号、庄内3号、庄内5号、平田、白山、晩生甘露、尾浦などがあるが、お盆過ぎから8月末まで取れる白山だだちゃが香り、甘味がありまろやかな味で人気がある。だだちゃと云ったら、なんと云っても白山だだちゃが最高ブランドとなっている。甘露も甘味があり美味しいが、量的に少ないのが欠点である。ただちゃの特徴は毛が茶色で密生し、実にしわがあり見てくれはあまり良くないが、香り良く独特の甘味を持っている。一度食べたら忘れられない味である。